2014年 05月 19日
西国街道・郡山宿~高槻 |
郡山宿本陣付近を出発し、高槻に向かう。 茨木城の城主であった中川清秀の生まれた場所とされている。 清秀は賤ヶ岳の戦いで、柴田軍の佐々間盛政の猛攻にあい討死した。 地蔵堂の案内板に西国街道についての案内が有り、京から西国への道は伏見から分かれて、 山崎、芥川、郡山、瀬川、昆陽西宮の各宿を経て、中国道に行くまでを「山崎道」とし、 これがいわゆる「西国街道」ですとある。 太田神社を過ぎると、拡大の東芝大阪工場跡地?が有り、さらに進むと継體天皇陵。 この裏が太田茶臼山古墳の様である。 高槻市内に入ると「まちかど道標」が各所で見かけるようになり、歩き易くなって来た。 道標に従い、道路から入った奥に大きな古墳・今城塚古墳がある。 (この古墳は淀川流域で最大級の前方後円墳である。) 周りの堀が埋立てられ、芝生広場やランニングコースが造られている。 芥川を渡った所に地蔵堂が有る。その前の道標には神峯山寺に参詣道に設けた 16基の1基であると記してある。 また、この地蔵堂横に芥川宿水門跡の石垣が道の両側に残っている。 この仕切は川の氾濫した時、板で閉め切れるように、仕切りが彫られている。 芥川宿東口に芥川一里塚と旧芥川宿の案内板と地蔵堂が建っている。 徳川幕府に宿場町として整備され、参勤交代のため本陣、傳馬、旅籠などが置かれた。 幕末には政変に敗れ、長州に逃れる途中の三条実美ら七卿も、この宿に泊った。
by hiro2-f
| 2014-05-19 16:51
| 街道、古道歩き